8月の暑かったあの日

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こんにちは。ようこそ そらまっぷへ!

 

私の父親は、59才という若さでこの世を去った。

約20年ほど前である。

 

 

 

私の両親は私が二十歳になるころに離婚した。

父が病気であることを知るまでは、ずっと会っていなかった。

 

久しぶりに父と会った。

病院のベッドの上に座っている父は、

手術の時、どれだけ大変だったかを

身振り手振りで教えてくれた。

 

余命、3か月とも知らずに。

 

そこから約10か月後に父は、この世を去った。

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今思えば介護保険制度がスタートしたのが

2000年くらいなので、ちょうどその頃である。

 

結局は、介護保険制度を使うこともなく、

ベッドをレンタルすることもなく、

畳の上の布団から、起き上がることが

できずに救急車を呼ぶことがあった。

 

だんだんお箸を持つ力も弱くなった。

私は、介護用品を扱う店に通うようになった。

お箸にばねが付いて持ちやすくなったものを

購入した。

 

父は癌だった。

最後の方は、痛みとの闘いだった。

 

おしっこも出なくなり、体中に水が溜まり

足もパンパンだった。

 

介護用品を扱う店には、そんなパンパンの足にあう

靴下は、なかった。

 

私は、父の靴下のゴムの部分を切り落とした。

見た目がどうのという人がいたが、

本人は楽になったようで、ご満悦だった。

 

私は、いつしか、福祉用具や、障害のある人が

使いやすい自助具を作りたいと思うようになった。

 

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 それから間もなくして父はこの世を去った。

 

私は今まで「これがやりたい」なんて思うこと

はなかったのだが、介護で人の役に立ちたいと

強く思った。

 

それから、まずヘルパーさんの資格を取った。

その後、福祉用具専門相談員の資格を取った。

その後、住環境コーディネーターの資格を取った。

 

それから、福祉用具の会社を探して就職した。

利用者様一人一人、体の状態も生きてきた環境も

性格も違う。

 

昔は学校の校長先生をしていて、いつも凛としていた

方が、認知症になった。

認知症になっても「先生」と呼びかけると

しっかりと「はい」と返事をして下さる。

 

戦争の話を聞かせて下さる方もいた。

色々勉強になった。

 

父のおかげで、たくさんのお年寄りと

その家族の方と知り合うことができた。

 

お父さん、ありがとう。

 

8月の夏の日、お父さんは旅立った。

 

 最後までご覧いただきありがとうございました。